〇〇べきものは記憶

そこは自分用の辞書っぽく

白巳大神

竹生島そのものが神の棲む島と言われています。

そんなパワースポットがたくさんある中でも1つ。

     

1度行きました時、

ブレにブレてどうしても撮れなかった神様が、白巳大神様でした。

わりかし撮ろうとした時にピントが合わないって事ありますけど

昔はそのブレの現象は、撮って欲しくないって拒否られてるのかと思ってました。

最近は動画等でオカルトを観る機会も多く

拝観するとピントが合わなくなったり途中がボヤけていたり

ブレてる画像を観る機会が増えたので

拒否ってるんじゃなくて、その場に居るんですね?

と思うようになりました。

じゃあ、ぶしつけにカメラ構えられて驚かれたのかな?

悪い気させちゃったなあと、ずっと引っかかっていました。

また竹生島に行く機会が出来て、まずは宝厳寺から廻り

綺麗な唐門も見学し順よく眺めて、やっと再挑戦。

「お姿を思い出として残したいです。撮らせて下さいお願いします。」

で、ようやくまともに撮れたという神様でした。

何故だか白巳大神様だけだったんですよね。

だからてっきり嫌われたんだと思っていました。はあ、良かった。

そんな白巳大神様は、弁天様の神使といわれています。

古代より蛇は神の使いと云われて大事にされてきました。

また世界各国では

動物が神の化身として考えられていて

古代インドでは特に、白蛇は弁財天様の化身と言われています。

高貴そしてカッコイイ。なんせ神聖です。

花筏

桜の花びらのように、池や川で見る水面に

 

散って舞って連なった花びらが流れに沿って浮かんでる様も指すけれど

 

 

水木でも、ハナイカダと呼ぶ植物があります。

 

 

冬に蕾となり、春に葉の中央あたりから花が咲き実が出来ます。

 

 

その1ヶ月後の初夏

 

実が膨らんだ感じに思いました。

 

 

時間の都合上その後が見れませんでしたが、

 

実が熟すと黒くなるようです。

珍珠梅

まずは見上げたのでした。

 

 

白くて可愛らしい花が見えています。

 

辿って下の方へ。

 

 

とても愛らしいです。別名は庭ナナカマドって言われていました。

 

どうやら葉とかが、ナナカマドに似ている事からでした。

 

 

花びらの感じからバラ科って分かる気もします。

 

上向きの枝先に白い花穂を付けます。蕾が白玉ですね。

 

 

チンシバイって名前なのですが、

 

珍至梅、珍珠梅、珍朱梅っていずれも書かれたりしています。

 

白玉な蕾なら『珠』で統一してもいいような気がしますよね。だめなのかなあ。

時計草

ペルー、ブラジル原産の

 

つる性常緑低木で、花期は6~9月。 丈夫で生育も早いそうです。

 

     

 

挿木も容易で、スーパーで見た事あるよなパッションフルーツ

 

花はこの仲間になるそうです。

 

 

横から見るって事そうそう無いかもしれません。そんなつもりで撮ってみました。

 

花は白色。ちょっと浮いてる感じの淡紫色の副花冠は糸状と言うべき?

 

 

時計の針のような3つの雄しべが

 

もうまんま納得しちゃう和名だなあと思います。他が思いつきませんよね。

 

品種は500種以上あるんだそうです。

 

引田城跡 その3

北二の丸は、上段と下段に石垣が遺っています。

なかでも上段は城内でも大きな石材を使っていたとされています。

なのですが

上段はシートで保護していました。

その代わり、どんな石垣だったのか教えてくれています。

下段は見学できるみたいです。

というか、写真だけで石垣の大きさ加減が分かりそうですね。

そんなわけで下りてみました。

     

結構高めに積まれていました。

この細やかな石垣を見てると織豊系城郭って呼ばれてるのも

なんとなく納得できます。

あ。また歪みました。(〃ノωノ)

石垣の状態から見ても

ここがメインの見せ場じゃないかって思えてきます。

上段の石垣も見れたら良かったですね。

その後、北曲輪に向かいました。

石垣を築いた痕跡はありません。石垣建築以前の土づくりの城の遺構のようです。

     

このまま案内に促され下りてしまい

うっかり大手門を見逃してしまったというショックな出来事がありましたが

個人的に気になった部分を少々、調べさせてもらいました。

本丸の石垣を見たところで出ていた看板に

和泉層群の砂岩と礫岩を石垣に使用していたと書かれていたんです。

白地図を使ってラクガキしてみました。

       

まずは中央構造線の線を引いて

その前後の挟んでる地質だけを書き込みました。

領家変成岩は花崗岩が多いって目にした事がある気がします。

三波川変成岩は片岩が多く板が重なったような感じの岩で

緑色片岩を目にしやすいんじゃないかと思います。

庭石とかで人気かも?

伊予青石、阿波青石、紀伊青石とか耳にしています。

徳島城和歌山城の石垣が青いのは、それですね。

       

そこに和泉層群を加えて書いてみました。

中央構造線の横ずれによって領家変成帯に溝が出来て

そこに和泉層群が貫入したって感じだそうです。

海のものが入り込んだ事で貝類の化石とか見つけやすいそうです。

これは海からじゃなきゃ見れないので

船に乗って撮った方のブログから拝借してますが、灯台の崖部分です。

実はジオサイトになっていました。

そんな面白い岩の山だったのでした。

眺めが、確かに気持ち良かったですね。

とても堪能できました。

引田城跡 その2

本丸の石垣を見かけたので、この辺りは本丸ですね。

で、進んでいくとちょっと段になっていたのです。

     

天守台跡とは書かれてないので違うように思いましたが

でもここで標高の表示と三角点ありました。

眺めが素晴らしいです。

じゃあ天守台跡って何処だろう?

案外キョロキョロしてたつもりだったんですけどね。

辿り着いたのは

端も端で分かりませんでした (〃ノωノ) ガーン。

想像図に描かれてあった端の建物は南櫓となっているので

天守台は手前にあったはず。それが分かりませんでした。

     

まあいいか。と思って遊歩道通りに歩いて行っています。

ちなみに遊歩道は、大正時代末期に整備されたそうです。

歩いてるとシダ植物らしき木々に変わっていきました。

えーっと。。。

化粧池といわれている所です。

城の姫や女中らが池の水を使って化粧していた、なんて伝わっています。

水不足を克服するために築かれた人工の貯水池で、

石垣がほんとは見えてるはずだったのです。草が勝ってました。

危なっかしいけど岩の道は好きですよ。

灯台に到着しました。

ここからの眺めも素晴らしくて

遠くは淡路島が見えています。

     

これまた素晴らしい岩の道を登って東の丸に向かいました。

東の丸は上中下3段の曲輪から構成されているそうです。

石がゴロゴロしてるので

中段には櫓があったとされたらしいので中段なのかな?と思いました。

かこってる石垣を確認出来た場所にもコロコロと石が転がっており

火薬を保管した煙硝蔵といった軍事施設も

あったと推定されているので、この辺りか?とも思えました。

東の丸は今しがた行った場所。本丸は始めの方に行った場所。

女郎島は干潮にならなきゃ近くまで行けないんじゃないかなあ。

と、なれば、次は北二の丸へ。

引田城跡 その1

香川県東かがわ市

2017年に続日本100名城選定。

2020年に国史跡指定。

戦国時代末期から江戸時代初期の城跡になります。

曲輪は総石垣によるもので、各曲輪は尾根を削平していたと。

そこからの展望が素晴らしいとも聞いていたので興味がありました。

岬状に突き出した城山になります。

案内の看板発見。

これは、、

遺構を絵に表してくれていますね。ありがとうございます。

     

U字型に配置。と、書かれています。

けど他に行かれてる方のを拝見すると、コの字型って書く方が多いです。

ここは潔く、冂の字型って言ってもいいような。

ちなみに貰ってるパンフにあった想像図なるものを見ますと

 

くの字型に誤解してしまいそうです。

屁理屈はこのくらいにしといて登ってみました。

清々しい眺めです。

     

歩きながら思っていましたが、岩の道もあって

なんというかその岩が、白だったり黒だったりして面白いなと感じました。

     

黒い岩の方は、なんとなく礫岩混じりなのでした。

始めに見たのは狼煙台跡です。

ちょっと高い位置になるので情報伝達手段としては

気付きやすいんじゃないかと思います。

ほどなくして本丸の石垣と書かれた場所に着きました。

算木積とか、しっかり遺ってるんですね。

あ。歪んじゃった。 ∑ヾ(・ω・`*ノ゙

まあまあ。まあまあ。

石垣の石について書いてありますね。

和泉層群の砂岩と礫岩を利用していました。

おかげでいろいろ面白く見れています。